コリント第二7章

7:1 愛する者たち。このような約束を与えられているのですから、肉と霊の一切の汚れから自分をきよめ、神を恐れつつ聖さを全うしようではありませんか。

 コリントの人たちに対しては、神を恐れつつ、聖さを全うすることを勧めました。彼らは、神の祝福を受け継ぐ者とされています。神に愛される者なのです。愛する兄弟として呼びかけました。その祝福の約束を覚えさせました。

 肉と霊の一切の汚れから自分を清めるように記したのです。教えの惑わしがありました。それと共に、コリントの信者の中には、肉欲に従う者たちがいたのです。

コリント第二

12:21 私が再びそちらに行くとき、私の神があなたがたの前で、私を恥じ入らせるのではないでしょうか。そして、以前に罪を犯していながら、犯した汚れと淫らな行いと好色を悔い改めない多くの人たちのことを、私は嘆くことにならないでしょうか。

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 性的な汚れを行う人たちが多くいたのです。

7:2 私たちに対して心を開いてください。私たちはだれにも不正をしたことがなく、だれも滅ぼしたことがなく、だれからもだまし取ったことがありません。

 そして、パウロは、自分たちに心を開いてくださいと願いました。彼らは、パウロたちに心を閉ざしていたのです。偽使徒たちの惑わしを強く受けていました。

 彼らは、テモテを受け入れて、従順を示しました。彼らには、まだパウロたちの言葉を受け入れる余地がありました。彼らが完全に従順になることを願ってこのことを記しています。

 それで、誰に対しても不正をしていないことを示し、誰も滅ぼさず、誰からも騙し取っていないと証ししました。このことの詳細が十二章に記されています。そのことを明確にしなければならなかったのです。彼らがパウロに関して不正をしているかのように言われていたことが背景にあります。

コリント第二

12:16 それならそれでよいとして、私はあなたがたに重荷を負わせませんでした。それでも私は、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったと言われます。

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7:3 私はあなたがたを責めるために言っているのではありません。前にも言ったように、あなたがたは、私たちとともに死に、ともに生きるために、私たちの心のうちにあるのです。

 パウロのこの勧めの言葉は、彼らを責めるためでありません。パウロは、コリントの人たちのことを、パウロたちと共に死に、共に生きる存在と考えていました。肉に対して死に、キリストにあって新しく生まれた者として生きるためにあるのです。そのための勧めであるのです。

7:4 私には、あなたがたに対する大きな確信があり、あなたがたについて大きな誇りがあります。私は慰めに満たされ、どんな苦難にあっても喜びに満ちあふれています。

 この確信と誇りは、以下に説明されていて、十六節にその結論が記されています。彼らが従順に教えられた通りに行動するからです。

 それで、励ましに満たされていました。コリントの人たちが、パウロの教えに従って神の御心に適って堅く立っているならば、それは、キリストの御前でパウロたちの誇りになります。そのために、パウロたちが栄光を受けるからです。それで、どのような苦難の中でも喜びに溢れていました。

7:5 (なぜならば)マケドニアに着いたとき、私たちの身には全く安らぎがなく、あらゆることで苦しんでいました。外には戦いが、内には恐れがありました。

 パウロたちが励ましに満たされた理由を説明しました。マケドニアに着いてから、体に休息がなく、あらゆることで重圧や困難を受けていました。外には戦いがあり、内には、恐れがありました。

・「着いたとき」→アオリスト、分詞。着いたその時点でなく、継続している。

・「安らぎ」→安心、休息、くつろぎ、安らぎ。ここでは、「身すなわち体」の休息のことで心の状態を言っていない。安らぎは、気持ちが穏やかで安心していることであり、整合しない。

・「苦しんで」→押しつける、苦しめる、悩ます、圧迫する。苦悩や苦痛、悩みの状況を表す比喩として用いられることが多い。新約聖書では、信者が直面する試練や苦難を表すのに頻繁に使われ、クリスチャン生活で遭遇する重圧や困難を強調している。これは、パウロたちが置かれた外的困難を表現していて、内面の苦しみを言ってはいない。

7:6 しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことで私たちを慰めてくださいました。

 しかし、謙って頼る者を励ましてくださる神は、テトスが来たことで励ましてくださいました。

 なお、「慰め」という訳を採用することで、「気落ちした者」と訳していますが、神に頼るという本来の意味が損なわれている。パウロたちの幸いな内面の霊的活動が気持ちの問題にすり替えられています。

・「気落ちした」→低い。(比喩的に)自己よりも主に頼る人を表す内面的な卑しさ。自分に頼るのではなく、神に頼ることを意味する。

・「慰め」→励まし。

7:7 テトスが来たことだけでなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、私たちは慰められました。私を慕うあなたがたの思い、あなたがたの深い悲しみ、私に対する熱意を知らされて、私はますます喜びにあふれました。

 テトスが、コリントの人たちから受けた励ましによっても励まされました。彼らが、パウロに強い愛情を持っていること、深い悲しみ、パウロに対する熱意を知らされて、喜びに溢れました。

・「慕う」→強い愛情。切望。

7:8 あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、私は後悔していません。あの手紙が一時的にでも、あなたがたを悲しませたことを知っています。それで後悔したとしても、

7:9 今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちから何の害も受けなかったのです。

 前の手紙でコリントの人たとに処置を求め、悲しませました。しかし、彼らが悲しんで悔い改めたので、喜びました。彼らは、神の御心に沿って悲しんだので、悲しみによって躓くようなことはありませんでした。

7:10 (なぜならば)神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

 世の悲しみであれば、死をもたらします。しかし、神の御心に沿った悲しみは、救いに至る悔い改めを生じさせます。すなわち、考えを変更することができます。そして、救いに至ります。神の御心に沿って歩むようになるからです。神の御心から逸れていた者が、神の御心に沿って歩むように考えを変え、報いを受けるようになるからです。

7:11 (なぜならば)見なさい。神のみこころに添って悲しむこと、そのことが、あなたがたに、どれほどの熱心をもたらしたことでしょう。そればかりか、どれほどの弁明、憤り、恐れ、慕う思い、熱意、処罰をもたらしたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明しました。

 神の御心に沿って悲しんだことで、それが彼らに熱心をもたらしました。

 そして、その問題について、適切に対処するために理路整然とした答えをしました。罪を犯した人に対して、なぜそれが罪であるのか、そして、それを止めなければならないのか、そして、処罰の論拠も告げる必要があるのです。

 また、その罪に対して憤りました。第一の手紙では、不品行に対して何も処置しなかったことが記されいます。罪に対して無関心であったのです。

 神を恐れたのです。

 そして、神の御心が実現することを切に願いました。

 主に仕える熱意が燃えていました。

 その結果、処罰をしたのです。処罰に至るまで、コリントの人たちには、霊的な深い活動があったことを知ることができます。主を恐れて、その御心の実現のために全てが行われたことを見るのです。彼らは、その問題について全ての点で潔白であることを証明しました。

 今日、罪の問題を扱う時、これを軽く扱ってはならないことを教えられます。

・「弁明」→理路整然とした返答、提起された問題に適切に対処するための考え抜かれた返答。

・「憤り」→神の御心や御性質に反する行為や状況に対する、義にかなった怒りや道徳的な憤りを意味する。

・「慕う思い」→神の心や意志と一致する深い内なる願望を反映している。

・「熱意」→主に仕えようとする燃える熱意のように、非常に熱烈なもの。

7:12 ですから、私はあなたがたに手紙を書きましたが、それは不正を行った人のためでも、その被害者のためでもなく、私たちに対するあなたがたの熱心が、あなたがたのために神の御前に明らかにされるためだったのです。

 手紙を書きましたが、それは、コリントの人たちのパウロたちに対する熱心が神の前に明らかにされるためでした。

 なお、この問題に関しては、不正を行った者と被害者がいたことが分かります。彼らのためよりも、コリントの信者がパウロたちに熱心を示すことの方が重要であったのです。それは、教えを堅く守ることであったからです。

7:13 こういうわけで、私たちは慰めを受けました。この慰めの上にテトスの喜びが加わって、私たちはなおいっそう喜びました。テトスの心が、あなたがたすべてによって安らいでいたからです。

 こういうわけで、パウロたちは、励ましを受けました。彼らが手紙で教えられたことを受け入れ、それを実行したからです。神様の御心に沿って信者が行動しているのを見たからです。パウロたちを通して、神様が業をなしているのを見たからです。パウロたちは、ますます神の業に励むことができます。さらに、この励ましの上に、テトスの喜びが加わったので、なお一層喜びました。テトスの霊は、コリントの人たちが従順であるのを見て、彼の目的が果たされて休みを得たからです。霊という言葉を使いましたが霊は、教えをなす部分を表しています。

 このように、主のための奉仕が目的を果たすならば、働き人にとって励ましになり、喜びになります。もし、信者が聖書の教えに無関心であり、神の御心を行ことに心を向けていないとすれば、御言葉を取り次ぐ奉仕者にとっては目的が果たされず、嘆いてするようなことになるのです。

・「安らいで」→必要な課題が完了した後に休息を与える(経験する)。

7:14 (なぜならば)私はテトスに、あなたがたのことを少しばかり誇りましたが、そのことで恥をかかずにすみました。むしろ、私たちがあなたがたに語ったことがすべて真実であったように、テトスの前で誇ったことも真実となったのです。

 パウロは、コリントの人たちについてテトスに少しばかり誇っていました。彼らの幸いを話していたのです。パウロは、コリントの人たちを喜んでいたことが分かります。それが真実であるとテトスに示すことができたのです。コリントの人たちに話したことも真実でした。テトスに対しても語ったことが真実になったことを喜びました。

7:15 テトスは、あなたがたがみな従順で、どのように恐れおののきながら自分を迎えてくれたかを思い起こし、あなたがたへの愛情をますます深めています。

 テトスは、コリントの人たちへの心からの愛情をますます深めています。彼らが従順で、恐れ慄きながら自分を迎えたことを思い起こしていたからです。

・「愛情」→内臓。心からの同情と優しい憐れみ。

7:16 私はすべてのことにおいて、あなたがたに信頼を寄せることができることを喜んでいます。

 パウロは、彼らに信頼を寄せることができることを喜んでいることを記しました。彼らに信頼することは、彼らの信頼を得るために不可欠です。信頼関係を築くならば、御心を行うことで一つになることは容易です。